INTERVIEW

2020.11.27

山城昌俊さん(カメラマン)

「最高であり最低でもあった
カニエ・ウエストとの撮影

ファッションを中心に、様々なジャンルのブランドのカタログやECサイトのルックの撮影を担当しているカメラマン山城昌俊氏。 また、現在は自身の作品を雑誌としてまとめた「no magazine」も発行している。 そんな山城さんにD-VECのブランドコンセプトである「Feel Alive(最高の瞬間を感じる)」をテーマにインタビューをおこないました。

Q:まず、D-VECを認知したきっかけを教えてください。
A:去年ぐらいから、また釣りをするようになりまして、DAIWA繋がりで知ったというのもあるんですが、知人を通しても紹介いただきD-VEC のことを知るようになりました。釣りに関しては、小さい頃、よく鮎釣りなどをしていたのですが、「写真と似てる」ってことを思い出しまして。昔LAに留学していたときに写真をはじめたのですが、その頃、ルームメイトの友達とよくキャンプにいって朝方になったら、磯に出て三脚を立てて風景写真を撮っていたことがあったんです。魚のあたりを待つ感じと、朝日の光を待つ感じが似ているんですよね。

Q:なるほど。では、LAに留学し写真をはじめたきっかけを教えてください。
A:大学受験を全部すべってしまったときに、ふとパンフレットを見て、親に頼み込んで留学させてもらいました。ただ、学校にいっても何をしたらいいかわからないし、ビジネスとかアートのクラスを受けても全然ついていけなくて。いろんな専攻をとってみたのですが、なにも続かず。。。暇を持て余していたので、草野球のチームに入ったのですが、そこにプロのカメラマンがいて、話の流れでちょっと手伝いにいくことになったんです。そしたら、すごく楽しくて。僕も勉強してみようって安いニコンのカメラを買って、学校の写真学科を受けてみたら、初めてのめり込めたというか。LAの学校を卒業した後に、NYのアートスクールに通い、さらに写真を勉強することにしました。

Q:その頃からファッション写真に興味があったんですか?
A:先ほどの釣りの話のように、はじめは風景から物撮りまで、本当にいろんなものを撮っていたのですが、あるときスタジオにこもって徹夜で物撮りをしていたら、隣のスタジオでファッションの撮影をしていたんです。ちょっと覗きにいったら、すごく楽しそうで。こっちはドラゴンボールの「精神と時の部屋」みたいな感じで物撮りしていたので羨ましくて。人とコミュニケーションをとるのも好きだったので興味を持っていった感じです。

Q:では、LAとNYの学校を卒業した後、どのようにファッションの仕事をしていくのですか?
A:NYの学校を卒業して日本に変える前にLAによったんです。そしたら、WOOFIN'っていう日本のストリート系の雑誌の編集長と知りあって、そのとき、よく作品撮りをしていたこともあり、ブックを見せたら、すぐに仕事が決まりまして。LAで海外スナップとか、ヒップホップのアーティストをはじめとするポートレートのお仕事をさせてもらうようになりました。

Q:随分順調に進むのですね?
A:LAに住んでいる日本人のカメラマンということだけで需要があった時代でしたね。実際に、黒人の友達にモデルをやってもらったり、知り合いの飲食店などでロケをしたり、コーディネーター的なことも含めておこなっていたので、そういう日本人が少なかったのだと思います。

Q:ファッション、あるいはポートレートなど、どんな写真を撮りたいと思っていたのですか?
A:そのころは、何を撮りたいか、全然わかっていなかったです。例えば、周りの外国人の友人たちは、自分の国のことをよく知っているんですよね。一方で僕は、東京で仕事もしたこともなければ、住んだこともなくて、日本のことを全然知らないなっていうのはすごく感じていました。仕事で撮った写真でも、ただ技術があるってだけで、日本人としての個性だったり、自分のオリジナリティーみたいなものが欠けていたんだと思います。そういう理由もあって、日本に戻って仕事を探そうと東京に拠点を移すことにしたんです。

Q:日本に帰ってきてからは、どんな仕事からスタートするのですか?
A:最初は誰も知らなかったし、WOOFIN'とかも、ほんのちょっと仕事をくれたんですが、当然のように、日本での撮影は日本に住んでいたカメラマンが担当していたので、なかなか仕事をもらえず、自分のブックを毎日持ち歩いていろんな方に見せて歩いてました。 それこそ知人の紹介で知り合ったディレクターの方に、写真をみてもらって、商店街のポスター撮りの仕事をさせてもらったり、学校のパンフレットだったり、とにかくいろんな撮影をしていました。LAでうまくいきすぎていたこともあって、こっちに帰ってきたら何にもなくなってしまったイメージではありました。

Q:そんな状況から、どれくらいでファッションの撮影をするようになるのですか?
A:2年くらいしたのち、徐々にですが、ファッション誌の仕事、例えばVOGUEでは、海外アーティストが来日した際のポートレートの仕事がもらえるようになっていきます。でも、やっぱり大きかったのが、ギャル雑誌からの仕事ですかね。

Q:ギャルカルカチャー全盛の時代ですね?
A:2007年くらいだったかと思うのですが、ギャルカルチャーがまだまだ勢いがあった時代で、eggとかBLENDAとかの仕事をするようになりました。とにかく衝撃的で、まだまだヤマンバとか、すごい黒い時代だったので(笑)。周りの人からはギャル撮ってるの?みたいに、なんか卑下されることもあったのですが、こんな面白い被写体はいないですからね。

Q:そういう意味では、まさに日本独自の文化という点で、山城さんが求めていたオリジナリティーと共通するものを発見できた、みたいな感覚もあったのではないですか?
A:そのころは、そんな明確に意識できてなかったんですが、そうやってうまくまとめていただき、ありがとうございます(笑)。とにかく、目立つんですよね。渋谷のストリートとかで、ちょっと変わったポーズとかしたりして。その個性的な感じが面白かったですね。変に前に出てくるし、自由だなこの子たちって(笑)。

Q:でも、ギャルの人たちを撮影するのも難しそうです。決まったポーズとかされると、それにしかならないというか。。。
A:ヒップホップも独特のポーズがありますよね?確かにLAで撮影をしていたころは、被写体の海外アーティストに、「シャッターを押させさせられてる」感覚があったんです。日本に帰ってきて何が変わったのかわからないですが、VOGUEとかのモードのファッションをやりながら、一方で、ギャルカルチャーを撮影していたのですが、自分はファッションしているよりかは、カルチャーの方が好きで、いろんな分野の活躍している人を撮りたいなって、後からわかっていくのですが、だんだん自分が撮りたいものがわかっていった時期なのだと思います。。

Q:「押させられてる」から、「自らの意思でシャッターを押す」に、変わった原因ってあるのですか?
A:自信ですかね。被写体に飲まれないというか、LAにいたころは自信がなかったんでしょうね。

Q:なるほど。被写体の問題ではなく、自分の心の持ちようで、写真が変わっていくということですね。
では、そんな山城さんが、プロのカメラマンとしてやっている中で、最高の瞬間と思えた撮影を教えてください。
A:LAにいるときにカニエ・ウエストを撮影したことがありまして。その日は囲み取材みたいな感じで世界中のファッションメディアが順番に取材していくみたいな日の、ある一媒体のカメラマンとして呼ばれて撮影しました。被写体も大変ですよね。いろんな媒体の撮影があって、かなりしんどいと思うんです。それもあったのか、撮影場所にいったら、すごく重い空気が流れてて、こんな感じじゃ、とても撮影どころじゃないって雰囲気で。僕も、さっきの話でもあったように、完全に「押させられて」いて、自分的には全然撮れてないって感覚でした。数枚ささっと撮って、最後に「こんな感じで撮れてます」ってみせたら、カニエの態度が急に変わって、そっから1時間くらい、いくつかシチュエーションや洋服を変えて撮影させてもらいました。

Q:山城さん自身はまったく自分の写真が撮れていないと思いながらも、一方で、自身の写真で、人の心を動かせるって可能性を感じられた撮影でもあったということですね。
A:そうなんです。たった1枚の写真、しかも僕は、「こんな感じで撮れてますので、終わっていいですか?」みたいな感じでみせたので(笑)。

Q:なるほど。面白いですね。
A:ただただ自信がなかったし、何が撮りたいのかわかっていなかったんです。今も何もわかってないかもしれないですけどね(笑)。とにかく、とても変な撮影でしたし、不思議な体験でしたが、最高の瞬間と聞かれたら、僕にとっては、この撮影が最高であり、最低の瞬間であった撮影になります。

PROFILE 山城昌俊さん(カメラマン)

アメリカの大学で写真を学び、その後LAにてフリーランス活動をはじめ、カニエウエスト、リアーナなど多くのアーティストポートレートを撮影する。 現在は拠点を東京に移し、ポートレートの他に、ファッション、ビューティー、広告撮影など、幅広くクリエーティブな撮影を手掛けている。 また自費出版によりファッションマガジン NO Magazine(@no_magazine_tokyo)を制作。

https://instagram.com/masatoshiyamashiro/